ESPの心を永遠に Part.1

 
石井普雄先生・著作の「ESPの心を永遠に」より抜粋致しました。
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一冊  \ 1,100 (税込定価 816円+送料 284円)
 
最後の超念力 <第三弾> 発刊にあたり
 

「最後の超念力」 第三弾の発刊も目前となった。

ESPは一般には超常現象のことであるが、形のないもので物体に異変を起こし、
あるいは、人の心まで支配する。
この支配力たるや到底未来永劫人間の頭脳では解明できないと思う。
本の名称は 「最後の超念力」 となっているが、根元はESPの事である。
この解明もできないESPの現象を 「最後の超念力」 と題して本にし、世の人々に理解を
求める。人の宿命である幸福への追求はESPにだけにしかないと、それは教育や科学が
すべてではないという事である。
生活の手段であるので物理的に満足しても心に豊かさはない。
だから美しい大自然に生まれ、包まれて幸せな楽しい生き甲斐を謳歌しなければならない。
満ち足りた唯物万能の社会には益々生存の空虚のはかなさが思われる。
これでは幸福はあり得ない。
幸福になるためにはESPの心の行動しかない。
ESPの心は、人々の心の中にある。
それが超人(神の心)の潜在意識とも言える。
誰彼の差別なく人間である以上、皆平等に超人(神の心)の潜在意識を持っている。
私が指導する、熱心なESPの仲間達はほとんど、日常の生活の中で想像もできない
楽しい現象が生活の強い自信となって支えられ、毎日が楽しいと言う。
ESPに集う仲間にはこんな愉快な人生の展望がある。
だからこそ楽しいのである。
ESPは私には宇宙からの超常現象ではなく、また、一定されたものでもない。
なぜかと言えば、ESPの不可思議現象は先に述べたようにすべての人に潜在しているので
特定のものではなく、無限であるからである。
世に多くの超能力、念力行者はいる。
その人達は研究、修験された超能力であり、念力であるので特定である。
ESPは研究してはならない。修行してはならない。
また、自分が色々思案してはならない。
その気になれば即座に超能力者しかできない事が誰でもできる。
だから特定ではない。
なお、その行動も人間の目的である幸福の条件は、人知不可能でも可能とする。
興味本位な事はできない。
ESPの作用は思った事に距離、空間、時間も無い。
事実が即座に出現する。
それも人間の生活を良くする事は無限である。
講演会ではこれは神様しかできない事と伝えている。
会場で初めて参加の人も神様しかできない事ができるが、この光景を観る人、神業を
体験した本人さえ他人事みたいで大して感動もないようであるが、あまり簡単で、早業の
ために手品師の曲芸と思っているのかも知れない。
今こんな思いがして来た。
もちろん、寝食を忘れ、一念発起で十五年間休んだのは昨年十月の二日だけであった。
ESPの心は理解できないが人間の運命の神秘はESPに掌握されているのである。
もちろん、人事を尽くすのが前提であるが、究極はこの世に生を享けた時に楽しい一生が
決定されている。この事実はESPが実証してくれるのである。
人間社会は人間の生活が優先され、自己本位を主体として仕組まれた人間共同体の
社会であるから、人間本来の幸福がない。
それには何が必要なのか。
心が豊かなことで、ESPの神髄もそこにある。
話下手な私が命を懸け年た情熱で夢中になった十五年の悟りの我が心を書いた
「最後の超念力・第三弾」 である。
ESPが命の我が心の第三弾は必ず読まれる人のま心を大きく動かすであろう。
体験という形と共に――。
 
ESPのペレストロイカは始まっている
 
ESPのペレストロイカは人々の苦しみ、不安を思えばすぐ喜びに変えてくれ、日々の生活
四日の内、三日は楽しく、一日は厳しくするから人生に勇気が出て来るから、これほど
愉快なことはない。
二十世紀までは人が人に教えた人造人生だった。
二十一世紀は天より授かった心の人生である。
自分で考える心ではないからその底力は灼熱の地球の心臓のマグマが始動する。
人間のま心の情熱の行動だから、十中八は行動が思い通りになるから当然だ。
思い通りの事実具現の人生は人間の目的である幸福に自分が意識しなくても行動して
いることが思わぬ奇跡の喜びで判る。
その奇跡も生活に有益な事ばかりの続出であるから今では奇跡でもない。
病気にばかり対応しての奇跡であるならば驚くこともない感激で、いつしか当時の喜びも
月日歳々と淡く流れてゆくのも人間社会では詮方ないことだ。
しかし、人間の命である事業・商売領域にESPの奇跡が誰彼の区別なく現れ出しては、
人間社会の大きな変革を肌身に感じるのはESP同志、否、ESP社会に楽しく生きる
人々の特権でもあるようだ。このESPの特権で二十一世紀は変わる。
 
 

ESPは特定の力ではない

 
日常生活を楽しくする。誰でもこれを望まない者はない。
だが思う通りにならない。また思う通りに誰でもなったらこの世に苦労はない。
しかし、この処世の苦労から脱却し、明るい平和な生活を築こうと、皆懸命である。
そんなに生きていく事は難しいのだろうか。
大宇宙に浮かぶ小さな地球、その中に人間五十億人が生きている。
生涯有限の生命を持っている。
たった一度の人生である毎日が不安なく、楽しくありたい、人生の願いはすべてこれのみ
である。だが現実は難儀でしかない。なぜだろうか。そんなはずはない。
ESPの心の社会は殊の外平凡であり、そこに真実の生存の価値がある。
基本は自己の煩悩を忘れているからである。
そのままの日々の生活には心掛けなくても、内の人、外の人の喜びがあるからやること、
なすこと順調である。本当に楽しい生き甲斐がある。
ESPの心の社会の人々と幸せの行動を共にする私の心にあるものは、幸せを得た
皆さんの喜びの最高の情熱の支えであります。
この情熱と勇気があれば本当の人生の幸せの街道をあなたは進んでいます。
この幸福街道の軌跡にESPの友の会の皆さんが一番ご存知と思います。
我欲葛藤の人間社会には想像も及ばない、また、起こり得ることでもない。
ESP社会の生活はESPを意識してはならない。
なぜなら意識は自分の煩悩が見え隠れする。
だから人間社会の抵抗を受け、思う通りにならない。
ESP社会の人々に私がいつも力強く言う、直感がESPの導きであるからその直感の
一つ一つを行なうことによって教えが来る。その直感は自分の考えではない。
その思考はすべて神の指示であるから、一日一日が不安なく生活できるのである。
ESPの心の行動は、神の指示の行動であるから思わぬ良きこと多く、奇跡で難関が
突破できたというのも当然である。
創立十五周年の日本武道館の大会を契機としてESPの心の人生の運命を託する
指導方針は永遠不変のものに確立した。
その指導方針とは、暮らしと命を一人一人が自由に幸せにすることができるようにする
ことである。人間である以上、宿望は幸福である。
健康であって、生活が豊かで、人々の交わりが楽しいことである。
思っただけでも楽しくなる。これが人生の核だから当然自らが操縦できるのである。
この大方針完遂のため、本社、支社、指導所に、健康と繁栄センターを開設し、ESP
友の会員は思った時は何時でも指導ができるようにした。
また、その集いには、良き友の奇跡、幸福の花束を捧げて幸せの語りあり、ま心の
導きもある。話ばかりではない。
そこで一人一人自分で病気を治す教えを授かり、仕事、商いにも、自信と勇気が湧く。
なお、家庭の楽しみもそこから持ち帰れる。
まったく地上天国がESPの健康と繁栄センターの大使命である。
世間では夢だろうが、このESPの心の社会では今日から、ここに集まる人はこの現実を
知り、また自分もこの真実を可能にする。
二十一世紀は心の時代であり、ESPの時代でもある。
だからESPは特定の教えでもない。